刀匠と氣匠

千年の歴史を持つ刀を作る刀鍛冶の匠には刀匠の資格が必要であると言う。今のところ、氣功を教える者には資格などは無いので、師匠も持たずに自己流で本など読んで、できるようになったと言って気功師と自分で自分を呼んでいつの間にか氣の匠になっている者がいるのである。また、私からハナクソのような訓練の年数で私から全てを受け継いだと言って新しい和の氣の武術を創立した恥の無い者もいる。私は刀を作る刀工が資格が必要なように氣にも氣匠と言う資格が必要ではないか?と考えている。ハナクソのような瞑想やワザを以って総大将とか総師範などと言われたら、氣功のレベルを底に落とすことになるのではないか?と危惧するものである。匠と称号をつけるものは他にもある。例えば、京都の菓子職人、には菓子匠など伝統を受け継ぐ技術の踏襲によって養われ正統性を以ってワザを伝える者を匠と呼ぶ。匠になっていない正統性を持たぬ者たちが匠と呼ぶ行為はその道の先人の名を汚し文化芸術をも汚すものであることに気づいていない。