利によって参じ利によって散ず

今まで我々の道場に馳せ参じて、自分たちにもう得にならぬと思い散っていった者たちは利に聡く、信義などはどうでも良い、というヤクザで言えば渡世人の仁義も弁えぬ者たちであった。この利と義の関係は古代中国でも問題であった。孔子は小人は利によって動き、君子は義によって動くものである、と人間観察は鋭かった。現代においては利によって、損得勘定でカネや権力権威のある者におもねり、取る、もらうものが無いと分かると手の平を返して裏切りを繰り返す者は多いだろう。あのニセモノたちがそうだった。してもらったことなど何処へやら、今この時にカネ、モノ、一時の功名、売名が欲しい。人間の社会ではこんな者たちが重んじられることなど無いのは古代においても現代においても同じことである。時は経て時代は変わっても、変わらないものは人間の心の内容で利と義の葛藤の人間の心は変わっていない。