幸せは心の中にある

ボクには夢があります、と言った者は私の氣功道場を任されて初歩の空勁をテレビ出演の前日に私からコツだけ習い、カネを得て贅沢に暮らすことが夢であり、幸せである、と思っていたらしい。私から得るものがもう無い、と分かると尻をまくって悪態ついてめちゃくちゃになった道場もそのままにして出て行ってしまった。一方で、私は変わらずに淡々と氣功を教授して私のケガは奇跡的に回復を遂げて今月のリハビリには杖を持たずに出かける予定である。最近では、毎日が楽しくて楽しくて黙っていても笑いがこみ上げて来る。こんな具合で最高に幸せに感じている。そこで気がついた。幸せとは、自分とは離れたところにあるのでは無く、自分の内にあるものであった。カネやモノでは幸せを購うことはできない。今の私にはカネ無く、贅沢なモノも無い。しかし、何故か私は幸せになっている。欲しいと想うモノはいつでも手に入り、食べたいと思うモノも口にできる、と思えてしまうのである。この今の瞬間では無いが、いづれは手に入る。と、それまでは何処かに預けている感覚である。身体が健康でなければ楽しめないから今は障害のある身体を元に戻す努力する時期である、と考えている。こう考えれば心は安定して生きているのが楽しくなって来る。周りの人達と楽しく会話して良い関係を保つ、心と心の交流を楽しんでいる。心が大事なのである。カネやモノは失っても、また手に入るが、心を失ってしまえば人間性も無くなり人間では無くなってしまう。人間であれば幸せになれる。心があるからだ。アメリカでも日本でも間違っている者が多過ぎる。心の中にある幸せを外に向けて探し回っても見つかるはずが無い。何故なら、心の中で幸せは我々を待っているのだから。