生命力

人生を最終的に守ってくれる最後の砦は、いのち、生命、生命力である。手術をしてICU 集中治療室から生還するのも、ガケから落ちて氣を失うほどケガをしても、生命力さえあれば、強ければ、存外助かりまた元氣になるものである。だからといって、ほったらかしにせずに日々トレーニングするといざと言う時モノを言う。何もせずにものをもらおうなどと言う乞食根性では何も手にはできない。生命力イコール氣である。私が氣を訓練していなければ、私は今、この世には存在していないだろう。別に好き好んで身体障害者になった訳ではない。自分の受け継いだ体質とさまざまな事情、付き合っていた悪縁の人間など絡みあった原因だと思うが、こうなると健常人に少しでも近づくことしかないのである。ひどくケガしてどうしても曲がらなかった左膝も九十度曲がるようになったし、左手首の骨折で拘縮で動かすことが出来なかった左肩もグルグルと回るようになっている。私の強い生命力が私の障害を克服しているのである。私の身体は、氣の実験場になっている。笑ってしまうほどに回復を遂げている。私の氣の修行は私の身体の中の細胞の一つ一つまで変えてしまったようだ。一か月ほど眠らず瞑想してみたり、何年も一日一食か不食してみたり、身体に良いと思われることは何でもやった。クスリだろうが、サプリだろうが取るもの全てがいっぺんに効果が現われるようになってしまったようだ。細胞のひとつひとつが変わるまで訓練すると身体はいつどんな状況にも対処することができるのであった。生命力とは元氣な細胞のことを言うのかも知れぬ。また生命力は人生を幸せにしてくれることも教えてくれた。